徒然草

エッセイ集と時々ちがうの

憧れ

「憧れの人」と聞いて思い浮かべる人はいるでしょうか。身近な人を思い浮かべる人も著名人を思い浮かべる人もいるでしょう。私にとっての憧れの人は高校3年で出会った塾の先生でした。

N先生は当時東大の理系院生で、数学の授業を受け持っていました。初回授業で目の前にN先生が現れて話し出した時には大阪出身で関西弁を話す若い頃の佐々木蔵之介そっくりの凛々しく美しい顔面を見て、こんな要素モリモリの人が存在するのかと衝撃を受けたことは今でもよく覚えています。その塾は大手とは程遠く個人塾のようなものでかなりアットホームな雰囲気があり、先生と生徒の距離感もかなり近めでした。週1の授業とは別に土日に開かれる自習室のようなものに行った時はよく昼ごはんに連れて行ってくれたし、LINEも当たり前のように交換していて授業や学業と全く関係ない雑談をすることもありました。算数と呼んでいた頃から絶望的に数学が苦手なうえにセンターと第一志望以外では数学を使わない私が高3の1年間の8割数学をやっていたのは、明らかに「N先生との接点を失いたくない」が動機のほとんどだったと言えるでしょう。違う先生だったら数学をやることを途中でやめていた可能性の方が高かったような気がします。(余談:しかも割と本気で頑張ったのにセンターは6割、国立2次は10点だった…本当に向いてないんでしょうね)

私が受験を終え大学生になり、N先生は社会人になってからもなぜか一緒に献血に行ったり東大のジムに連れて行ってもらって筋トレ指導してもらったり、たまには普通に飲みに行ったりと交流は続きました。その授業で仲良くなった友人と遊ぶ時に突然現れたり、飲み会で潰れたときに連絡したらなぜか迎えにきてくれたりもしました。毎週必ず会う授業という予定がなくなりお互い新生活で環境が変わっても定期的に会えるということが特別な存在であることの証明のような気がして、その度に高校の友人に「結婚なのでは?」という連絡をしていました。要は浮かれていたのです。

そんな中で事件は突然起こりました。ある日先ほど登場した同じ授業を受けていた友人からN先生と3人でご飯にいこうと誘われ、普段のようにウキウキしながら行きました。すると終盤、友人がお手洗いに立った時に「あのな、もしかしたら薄々気づいてるかもしれんけど実は俺たち付き合ってんねん」と言われたのです。1ミリも気づいていなかった鈍感な私はその瞬間言葉を失いました。言われてみると確かに思い当たることもありました。当時の恋愛経験ほぼ0の私はなぜか頑なに認めなかったけれど、あの頃の彼に対する感情の中には恋愛感情もたしかに存在していたのです。その衝撃の打ち明け話を聞いた後はなんだかわからない感情が渦巻いて、30分以上かかる家までの道のりを少し泣きながら歩いたような気がします。

この当時の私はN先生よりも交際を隠していた友人の方に腹を立ててしまい、連絡を絶たました。それから半年ほど経ったあとで彼女とまた連絡を取るようになり、色々な話を聞きました。告白の言葉が5つ年上にしてはあまりにダサかったこと、誰にも言うなと言われていたから私にも交際を言わなかったこと…その話を聞いて彼に対する憧れの気持ちがみるみる色褪せてしまったのでさ。よく考えると私以外にもN先生が大好きすぎる歴代女子生徒はたくさんいたし、おそらくその人たち皆に思わせぶりとも言える行動をしていたのでしょう。自分が当時のN先生の年齢に近づいてきて思うことは、大学入学直前の恋愛経験の少ない女子高生に思わせぶりなことをして自分に好意を抱かせ卒業後に生徒と先生という関係がなくなってからストックの中から選んで付き合うような行為をしていたわけであり、シンプルに気持ち悪いということです。こんな人に憧れていたのかとなんとも自分が情けない気持ちになってしまうのです。

憧れが消えたあとというのは、切ないものです。そんなくだらないものに憧れていた自分の浅はかさに呆れて恥ずかしく思いながらも、それまで憧れていたその気持ちは確かに存在して自分の中に長い間残るのです。すなわちくだらないと頭ではしっかり分かっているかつての憧れを目にすると、憧れていた頃の感情が呼び起こされるわけです。それはなんともちぐはぐで、どうしようもなく恥ずかしくなってしまうものなのです。そう思うと、今の私も未来の私からするとどうしようもなく恥ずかしいのかもしれないですね。