徒然草

エッセイ集と時々ちがうの

ある日、バイトから帰ると机に高校の同窓会から届いた茶封筒が置いてありました。私はなぜか同窓会の学年代表をやっているので会報とは別に、年に数回総会の議事録など十数枚の紙が入った連絡が届くのです。だいたい自分に関係のある連絡があることはないけれど、稀にバザーの手伝いなどで代表以外の人に連絡しなければならないことが書かれていることもあるので一応全て目は通すことにしています。封筒を切って中の紙をペラペラとめくり、決算報告をみて案外余裕があるのだなあと思ったりしながら読み進めていくと、そこで二つ上の見知った先輩Mさんの名前を見つけました。「逝去者リスト」。そのページの1番上にはそう大きく書かれていました。わたしは目の前の文字が一瞬、理解できませんでした。

 

時は2014年、わたしが中3・Mさんが高2の時。新学年が始まり新たなクラスで委員会と係を決めていました。我がクラスでは文化祭実行委員(以下、文実)の立候補者が最後まで出ず、忙しくてできない人を座らせて4人まで絞って逆選挙のようなことをすることになりました。わたしもその選ばれし1人になったのですが活動が多く拘束時間が長いことから全くやりたくなかったので、他の3人とともにやりたくない理由を述べる妙な演説をしたものの、なんと私は選ばれてしまったのです。一応学校の中では花形とされているような委員会にも関わらず、わたしともう1人のAちゃんが言うなれば押し付けられるかたちでいやいや文実をやることになってしまいました。その日のうちに決まった学年の文実で集まり5つある部門のどこに所属するかを決め、私は校内装飾や受付を担当する部門に所属することになります。Mさんはこの部門の先輩であり、その年すべての校内装飾のデザインを担当する責任者でした。Mさんはわたしが記憶する限り、同輩や後輩からワーキャー的な人気がありタイプの人でした。そもそもわたしがこの部門に所属することになったのも、元々彼女と部活が同じだった仲のいい子に「Mさんのいる部門に入りたいんだけど一緒にやらない?」と誘われたからでした。色白で柔らかい雰囲気を持っていて、当時のわたしから見ると素敵なお姉さんという印象でした。

前述の通り当初わたしとAちゃんは文実に対するやる気が全くの皆無だったので、当然幹部学年である高2の先輩方へのリスペクトなどあるはずもなく、2人で結託して後輩でありながら文実の集まりへ開始時間ギリギリに行ったり、裏で先輩への不満をグチグチ言ったりしていました。そんなわたしとAちゃんの心境に変化が起き始めたのは夏休みのことでした。文実は夏休みの登校可能日には開門から閉門まで毎日活動があり、基本的には全参加となっていました。中学生たちは装飾物の製作が主な仕事で、Mさんが作ったデザインをもとに高校生がいる部屋の外のクーラーもない空間にいさせられ、地面に直接座り模造紙にマス目を引く・画用紙で文字やパーツを切る・両面テープをひたすら貼るといった地道な作業を延々と繰り返すのです。最初は「なぜこんなことを私たちがしなければならないんだ」と両面テープのはくり紙を紙吹雪にしてばら撒いては掃除するなどの無駄すぎる行動や図書室に行って4時間戻らないなどの強行手段でどうにかサボろうとしていました。しかしわたしたち中3にはもう一つ、必要な団体にボンドやカッターなどの文具を貸し出すカウンターの受付という別の仕事がありました。シフト制で2〜3人ずつはこの仕事を担当し、その間は高校生と同じ部屋の中にいることができたのです。高2の先輩方はとても気さくでわたしたちにもたくさん話しかけてくださり、単純に人として好きになっていった上、間近で先輩方が仕事をしている姿を見て「この人たちはわたしたちが動くための前提を作っていて、わたしの何十倍も大変な思いをしている」と肌で感じるようになりました。それからわたしとAちゃんは変わらずふざけながらも、以前の何倍も真面目に自分たちの仕事をするようになり、文実としての仕事に対する愛着すら持つようになっていきました。

そんな日々もあっという間に過ぎて、気づけば文化祭当日がやってきていました。1日目の朝、台風の影響で雨が降っていました。急きょ受付のレイアウトを変更し、卒業生受付の看板が追加で1つ必要になりわたしたちは大慌てしていました。そこに現れたMさんが事情を聞いて「わたし書くよ〜」となんでもないように言い、ものの1分ほどでその場にあった裏紙に黒のマジックでさらさらとイラスト付きの簡易看板を書き上げた時の光景をわたしはいまだに忘れられません。この紙が捨てられるのがどうしてももったいなく思い、片付けの時にこっそり持って帰ってきて今もわたしの部屋にしまってあります。そんな幕開けだった文化祭は、初めて経験する仕事をめまぐるしくこなしながら終わりに近づいていきます。そしてすべてのプログラムが終わった2日目の夕方、文化祭のエピローグである後夜祭がはじまります。後夜祭の席は事前に部活や団体ごとに申請し抽選で場所が決められますが、なぜか文実の高校生は一階の最前列・中学生は二階の最前列と決まっていたためわたしの席は二階の最前列でした。司会によるミニコントや有志のダンス、投票で決まる展示の大賞の発表と後夜祭は参考していき、高2のバンドによる演奏が始まりました。1曲目がスピッツの『楓』でした。静かな優しいメロディーの中で二階から見える一階席ではペンライトが揺れ、泣いている人もちらほら見えました。この光景を見ているときに、ああわたしはきっと来年も文実をやるんだなと確信したことを覚えています。そして2年後自分たちがこんな素敵な風景を作ることができたらどんなに素晴らしいだろうか、とも思いました。サビの「さよなら 君の声を抱いて歩いてゆく」というフレーズが中高の思い出を抱いてそれぞれの道へと向かっていく姿を表している気がして、わたしの中でこの曲は文実をやるうえでのテーマソングのような、忘れられない思い出の曲となったのです。

 

 

Mさんの訃報を目にした時、自然と頭の中に『楓』が流れてきました。おそらくここまでつらつらと綴ってきたMさんとの思い出の近くにあった曲だったからでしょう。ですが死別することになったMさんとの記憶を振り返るわたしにあまりにもぴったりすぎて鳥肌が立ち、涙が出ました。こんな形で伏線回収したくなかったよ、と。

ケイオウちゃん

突然ですが私は某KO大学に通っています。バイト先の社員さんや常連さん、美容室のお兄さん、近所のカフェで出会った人、大学生になってから出会った人たちの一部は私のことを「ケイオウちゃん」と呼びます。きっと相手からしたら「ケイオウなんてすごい!珍しい!」みたいな単純なプラスの気持ちでそう呼ぼうと思ってくれたのでしょうが、当初私はこの呼び名がなんとなくいい気持ちがしないうえにしっくりこないと思っていました。おそらくこれは私が自分の通う大学を誇りに思えていなかったからでしょう。世間的にまあまあすごい大学であるという認識がほとんどなかったという方がより正しいかもしれません。

私は「地方で一人暮らしをしてみたい」という理由だけで、ある地方の国立大学を第一志望としていました。しかし以前の記事でも書いた通り絶望的に数学ができず落ち、結果として第二志望としていた大学に通うことになりました。そもそも第二志望以下は日程が被らないようにほんとうに適当に選んだのでもちろん特別な対策をすることもなく、志望順位もなんとなく決めたものでした。それよりも大きかったのは高校の環境でした。私の高校は現役で毎年東大と医学部に各20〜30人ほど入るようなところで、文系で私立が第一志望の人が数えるほどしかいませんでした。冷静に考えるとものすごいですね。明らかに特殊です。しかし当時の私にはそれが当たり前であり、国立大学や医学部の受験の大変さを身近に感じていたこともあって、自分の入った「慶應文学部」はなんとなく見劣りするように感じていました。心のどこかで自分は落ちこぼれたと当時は割と本気で思っていたし、大学名を言って賞賛されることがなんだかものすごく恥ずかしく感じる時期がありました。

今はどうかいうと、ケイオウちゃんと呼ばれることもそんなに嫌ではなくなりました。大学名で自分という人間に蓋をされて中身を見てもらえていない感が少し嫌ではありますが、それよりも「それで覚えてもらえるならまあいっか、中身は知ってもらえるように自分で頑張ろう」という気持ちの方が強いです。なんなら大学名だけで第一印象すごいと思ってもらえてラッキー♪くらいに思えるようになりましたら。そもそも大学に対する愛情も芽生えてきました。通い始めてから年月が経ったことはもちろん、運良くいい友達にたくさん出会えて高校時代と同じかそれ以上に楽しい生活が送れていることの影響も大きいです。(元はと言えば高校同期たちに対する意地のようなもので大学生活をめちゃくちゃ楽しんでいるところを見せつけてやろう、みたいに思っていたのですが…)皮肉なもので中学高校時代にキリスト教的思考が染み込まされたせいか、今となっては第一志望に行かずに今の生活を送っているのも神の導きのような予定調和的なものだったような気すらしています。自分にとって武器だなんてさらさら思っていなかったものが、実は世間から見たらそこそこ強い武器だったということもあるんだと思い知らされました。

憧れ

「憧れの人」と聞いて思い浮かべる人はいるでしょうか。身近な人を思い浮かべる人も著名人を思い浮かべる人もいるでしょう。私にとっての憧れの人は高校3年で出会った塾の先生でした。

N先生は当時東大の理系院生で、数学の授業を受け持っていました。初回授業で目の前にN先生が現れて話し出した時には大阪出身で関西弁を話す若い頃の佐々木蔵之介そっくりの凛々しく美しい顔面を見て、こんな要素モリモリの人が存在するのかと衝撃を受けたことは今でもよく覚えています。その塾は大手とは程遠く個人塾のようなものでかなりアットホームな雰囲気があり、先生と生徒の距離感もかなり近めでした。週1の授業とは別に土日に開かれる自習室のようなものに行った時はよく昼ごはんに連れて行ってくれたし、LINEも当たり前のように交換していて授業や学業と全く関係ない雑談をすることもありました。算数と呼んでいた頃から絶望的に数学が苦手なうえにセンターと第一志望以外では数学を使わない私が高3の1年間の8割数学をやっていたのは、明らかに「N先生との接点を失いたくない」が動機のほとんどだったと言えるでしょう。違う先生だったら数学をやることを途中でやめていた可能性の方が高かったような気がします。(余談:しかも割と本気で頑張ったのにセンターは6割、国立2次は10点だった…本当に向いてないんでしょうね)

私が受験を終え大学生になり、N先生は社会人になってからもなぜか一緒に献血に行ったり東大のジムに連れて行ってもらって筋トレ指導してもらったり、たまには普通に飲みに行ったりと交流は続きました。その授業で仲良くなった友人と遊ぶ時に突然現れたり、飲み会で潰れたときに連絡したらなぜか迎えにきてくれたりもしました。毎週必ず会う授業という予定がなくなりお互い新生活で環境が変わっても定期的に会えるということが特別な存在であることの証明のような気がして、その度に高校の友人に「結婚なのでは?」という連絡をしていました。要は浮かれていたのです。

そんな中で事件は突然起こりました。ある日先ほど登場した同じ授業を受けていた友人からN先生と3人でご飯にいこうと誘われ、普段のようにウキウキしながら行きました。すると終盤、友人がお手洗いに立った時に「あのな、もしかしたら薄々気づいてるかもしれんけど実は俺たち付き合ってんねん」と言われたのです。1ミリも気づいていなかった鈍感な私はその瞬間言葉を失いました。言われてみると確かに思い当たることもありました。当時の恋愛経験ほぼ0の私はなぜか頑なに認めなかったけれど、あの頃の彼に対する感情の中には恋愛感情もたしかに存在していたのです。その衝撃の打ち明け話を聞いた後はなんだかわからない感情が渦巻いて、30分以上かかる家までの道のりを少し泣きながら歩いたような気がします。

この当時の私はN先生よりも交際を隠していた友人の方に腹を立ててしまい、連絡を絶たました。それから半年ほど経ったあとで彼女とまた連絡を取るようになり、色々な話を聞きました。告白の言葉が5つ年上にしてはあまりにダサかったこと、誰にも言うなと言われていたから私にも交際を言わなかったこと…その話を聞いて彼に対する憧れの気持ちがみるみる色褪せてしまったのでさ。よく考えると私以外にもN先生が大好きすぎる歴代女子生徒はたくさんいたし、おそらくその人たち皆に思わせぶりとも言える行動をしていたのでしょう。自分が当時のN先生の年齢に近づいてきて思うことは、大学入学直前の恋愛経験の少ない女子高生に思わせぶりなことをして自分に好意を抱かせ卒業後に生徒と先生という関係がなくなってからストックの中から選んで付き合うような行為をしていたわけであり、シンプルに気持ち悪いということです。こんな人に憧れていたのかとなんとも自分が情けない気持ちになってしまうのです。

憧れが消えたあとというのは、切ないものです。そんなくだらないものに憧れていた自分の浅はかさに呆れて恥ずかしく思いながらも、それまで憧れていたその気持ちは確かに存在して自分の中に長い間残るのです。すなわちくだらないと頭ではしっかり分かっているかつての憧れを目にすると、憧れていた頃の感情が呼び起こされるわけです。それはなんともちぐはぐで、どうしようもなく恥ずかしくなってしまうものなのです。そう思うと、今の私も未来の私からするとどうしようもなく恥ずかしいのかもしれないですね。

メロンソーダ

メロンソーダって、メロンソーダでしかない味がなんとなく好きでドリンクバーでたまに飲んでしまいます。高校の時から集中したい時ファミレスに1人で行ってドリンクバーを頼んで居座る私ですが、学習せずにメロンソーダを並々注いでは途中で甘すぎて飽きながら考えてしまうことがあるのです。

 

大学1年生の時、わたしはある人のことを好きになりました。彼とはサークルの新歓合宿で仲良くなって以来頻繁に遊びに行くようになり、お互い趣味嗜好も近かったこともあり夏休みが始まる頃には1番仲のいい同期になっていました。よく考えたらこの頃すでにもう独占欲的なものはあった気がするけど、当時の私は今よりも輪をかけてウブウブのウブだったので自分の感情が恋愛感情だとは全く気づいてないどころか彼の親友とイチャついていた記憶すらあります。そして私は大学関係ないめちゃくちゃ可愛い友達と彼を繋いで一緒に遊ぶなどしたのです。

もう半袖では寒くなってきた頃、いつものように学校終わりに私の可愛い友達と彼と3人でお茶の水でご飯に行くなりました。そのあと公園で話しているとき唐突に「あれ、私こいつのこと好きじゃない??」と思ったんです。意味がわからなすぎますね。でも恋なんて多分そんなもんです。

そんな彼と初めて2人でどこかへ行ったのが、夢アドのメロンソーダのリリイベでした。当時は好きだと気づいていなかったんですけどね。イベントを見たあとに居酒屋で感想を言い合いながら飲むというヲタク時代からの夢を叶えつつ、好きになる人と1日一緒にいるというある意味贅沢コースを楽しんでいたわけです。そして奇しくも超絶片思いソングのリリイベだったというのが、なんだか面白いですね。真夏の昼に待ち合わせをしてMVに出てくるPOPのメロンソーダを自販機で買って一緒に飲んだ、そんな思い出がメロンソーダを飲むたびに少し思い起こされます。

彼は21歳までの人生の中で紛れもなく1番好きになった人です。彼には一度も好きだということを伝えていませんが、今のところ私はこれでいいと思っています。こういうところが恋愛に向いてないですね。たまに会えればそれでいいんです。ラブソングに共感できる感情をくれた彼に感謝。

どうしても見てほしい!アイドルソング5選

男女・時代問わず色々なアイドルの沼にハマりにハマってきたわたしが選ぶ、これぞというアイドルソング5選を発表していくよ!

全部YouTubeで検索すれば動画あるのでよかったら見てみてください…最悪で最高な世界がそこにはあります…

 

ぁまのじゃく/スマイレージ

スマイレージの全ては落ちサビのために続いている、ひたすら可愛い曲。なのに落ちサビでひたすら続いた主人公の女の子のあまのじゃく発言の意味がわかり、めちゃくちゃ切ない。5分もない曲なのに映画見たみたいな気持ちになる不思議。両片思いっぽいのがめちゃくちゃ中学生の恋っぽくてたまらない。やっぱりつんく♂さんの心には女子中学生が住んでいるとしか思えない乙女心の表現力、、、一度も聞いたことのない頃に戻ってもう一度聞きたい

 

◎PINKY/赤西仁

ただひたすらにエロい。バックのJr.の方が上裸にジャケットとかで露出度高いのに、肌どころかもはや顔すら全然見えてない本人から謎の紫のオーラが出ていて本当に赤西仁ってヤベェアイドルだったんだなという感じがすごい。なんかもう本当に何もかもがレベチ。歌詞の内容もよく聞くとエロいような気がするんだけどそんなことよく分からなくなるくらいに色気で殺される。少クラの動画見るとヲタクが終始叫んでるんだけど叫ばないとやってられない気持ちわかる。

 

横須賀ストーリー/山口百恵

なぜこの曲を選んだかというと、このくらいの時期からめちゃくちゃ綺麗になってるんですよ。何が驚きって当時17歳ってことよ。やっぱこの辺で三浦友和と付き合い始めたとしか思えない、、、主張強くないどちらかといえば地味顔だけど三白眼と整ってるパーツで無表情に伏目っぽく歌うからミステリアスさが助長されて、ほんとにいい女感すごい。余談ですがプレイバックPart2の頃にまたギュインって綺麗になってるので、たぶん初めて寝たんだと思います(うるさい)

 

カルメン'77/ピンク・レディー

ピンクレディーの良さは2人がほっそい2人が操り人形っぽく狂気じみた感じで踊り歌ってるところだと思うんだけど、この曲は本当に歌詞も振り付けも意味がわからないし、でも真似できそうな感じでもないし、何狙いでこれを売り出したのかよくわからないところがめちゃくちゃ好き。そもそもカルメンってあだ名つくことある?

 

◎おっとCHIKAN!/おニャン子クラブ

セーラー服を脱がさないでもちゃんと聞くと本当にアウトな曲だが、これはもう比にならないくらい最悪。一言でまとめると、痴漢冤罪ソング。今もしリリースしようものなら大炎上必至だし、これを素人JKに歌わせようと考えた秋元康は本当に心の底から気持ち悪い。でも逆に気持ち悪い願望を潔いくらい全力で叶えにきているところがおニャン子の魅力であり、後期の当たり障りのない普通のアイドル曲を歌わせるようになったおニャン子よりだいぶよい。

 

 

どうですか?今回は「動画で見てほしい曲」という観点で選んでみたんですけども、検索して何個も見てほしい曲もあるのであえてリンクは貼りません。暇な時にでもぜひどうぞ、もれなく変な気持ちになれると思いますが。

当たり前

最近、美人だなあと思う人は美に対してかなり努力をしているということに気づいた。

みんな「何もしてないよ〜(><)」と言うからこう見えても正直者のわたしは鵜呑みにしてしまった。そしてポテンシャルの差だと思って諦めたりしていたわけである。でも、何もしていないという言葉には「特別なことは」何もしていないという隠れた接頭辞がついているのだ。当たり前だと思っていることは言及されない。
 
わたしは普段自分のことを頭がいいと思うことは全然ないしむしろ自分の頭の悪さに辟易しているが、まあ世間的に見れば学歴はいい方だと言える。中学受験をして私立の中高一貫校に入り、それから基本的なコミュニティは学校と塾だけだった。つまり中学生になって以降しばらくは学力的な面や育った環境の「当たり前」がある程度以上共通している人とばかり接してきたことになる。そうなるとつい狭い世界での当たり前が世界全体の当たり前のような気がしてきてしまうものだ。
しかしわたしは高校時代にアイドルヲタクとして出会った友人たちや大学に入ってからのバイト先で今まで出会うことのなかった全く違う世界の人たちと出会うことになった。たとえば、はじめて同世代で中卒の人・通信制高校に通う人・高卒で就職する人と友達になった。当時のわたしの中では中学校の次には高校があって卒業したら大学に行く、という流れはもう疑う余地もない「当たり前」になっていた。そしてバイト先では研修中にドリンクを教わっている時に、ものすごく仕事ができる先輩のNさんが日本酒の名前である都錦(みやこにしき)という漢字が読めないことにカルチャーショックを受けた。
 
「当たり前」なんてそんなものだ。だから、わたしのようなズボラからしたらものすごい努力に思えることも美人たちにとって当たり前のことで何も特別じゃなければ、何もしてないと答えるのは当然のことだ。美人たちは別に意地悪で美しさの秘訣を内緒にしようとかそういうつもりは全くないのだ、おそらく。スキンケアは化粧水で終わり!お化粧はしない!が当たり前の人もいれば、美容液にこだわって月2でピーリングして月1美容点滴みたいな生活が当たり前の人もいる。別に美人になることが全てなわけじゃないし、どちらが正しいわけでも間違ってるわけでもないと思う。だけどズボラなわたしがちょっとでも美人と思われたいならその努力を当たり前だと思えない分意識的に努力していくしかないのだ。とりあえず髪の毛を乾かして寝ることを当たり前にしようと思う。